【サロン】
この言葉をみてあなたは何を考えたでしょうか?優雅な感じのする部屋?高級そう?はたまた、昔ながらの美容室の名前についてるやつ?
どれも正解です。
ここでは、ショパンやリストが活躍したパリの最先端【音楽サロン】(※以下サロン) とはどんなものだったのかについてお話いたします。
サロンの成り立ち
サロンとは元々「謁見の間」を意味するだけの仏語でした。そこに集まる王族たちの社交やその間に楽しまれた芸術が次第に貴族の私邸にも拡大していき、最終的には私的な空間で社交や文化的な会話を主な目的とする集い=サロンとなっていったのです。
貴族が上流者として社交界で認められるためには芸術に精通しそれらを保護することが重要とされていた事に加え、18世紀ごろからは啓蒙思想の流行により文学・演劇・絵画・音楽等のサロンがこぞって開かれました。特に18世紀後半~19世紀に多く開かれた音楽サロンは裕福な家にしか開くことのできないものだったようです。
何より楽器と(最低限ピアノ1台)、楽器を置いてもお客さんがゆったりできる瀟洒なスペース、おまけに満足のいくおもてなしを用意できなくてはお話にならなかったため、定期的にそれを準備できる家や人物にしか音楽サロンは開けなかったからでしょう。
こうして、その芸術的センスと財力を誇示し人脈を作り出すことのできるサロンは、音楽家のみならず貴族たちにとってなくてはならない場となっていきました。
サロンの役割
フランスでは、会話が一つの芸術でした
『音楽サロン~秘められた女性文化史~』
サロンは当時の社会において複数の意味を持っています。
芸術家 ・仕事の場 ・福利厚生としての役割
貴族 ・社交、政治の場 ・学び、流行を発信する場
~芸術家にとって~
芸術家が生計を立てるにはやはりパフォーマンスを披露する場が必要で、そうした場を大なり小なり提供してくれるのがサロンでした。そこで新しく別のサロンに招待してくれる顧客を得たり、コンサート開催を援助してくれるパトロンを見つけたりと人脈を作る効果も当然付随してきます。
そして、人権についての考えがやっと提唱され始めたこの時代。提供するものが娯楽で、組織だったところのない芸術家たちは立場の弱くなりがちな存在でした。そんな彼らが困った時に手を差し伸べてくれたのもまた、サロンなのです。
具体的には
- 演奏旅行先で宿泊場所や食事の提供(経費の負担)
- 病気になった時には療養場所や看護の提供(傷病手当)
- ユダヤ人演奏家には、社会的保護の提供
などがあげられます。移動にかかる時間も負担も現代とはけた違いな上、病気になった時・働けなくなった時・差別にあった時などに国から助けてもらえる保障が無かったこの時代の芸術家にとっては、いわば生命線です。
~貴族たちにとって~
宮廷の中で得られる人脈をより深めたり、己の文化力や財力を招待客をおもてなししつつ示すことで社交界での立場を強める効果があったようです。特に当時の女性の立場からすると、表立って政治に参加することが許されず、誰かの娘もしくは妻の立場でサロンを開催して初めて社会的に認められる側面もあったため、かなり重要な物だったでしょう。
そして啓蒙思想の広がりつつあった18世紀は、「学ぶ」ということがトレンドでした。サロンを開き、そこで多くの招待客に学びや議論の場を提供しつつ、作曲家の新作に触れることが一種のステータスだったのです。
まとめ
サロンとは、当時の文化人にとって欠かせないネットワークでした。
ロマン派前後の曲を演奏する、もしくは指導する時には、作曲当時に関わりのあったサロンが必ずあるはずなので是非調べてみてくださいね。