サロン ~ロマン派流行の発信地~の記事を書いている最中、非常に面白そうな人物に出会ったのです。
[ジョアキーノ・ロッシーニ]
歌劇『ウィリアム・テル』で有名な彼はサロンでも非常に活躍した人物だったようで、実にたくさんのエピソードがありました。
よっしゃ次は彼について書いたるかと調べてみたら、出てくる出てくる【食】についてのエピソード。そして料理をテーマにした面白作品の数々…!
あんまりにも面白かったので、今回は路線を変更して【料理名のついた曲】特集になりました♪
料理名のついた曲たち
調べ始めると、料理名を付けた曲を書いている作曲家は意外と居ました。「食」という非常に嗜好性の高いテーマだからか、曲に関するエピソードからも本人のパーソナリティがかいま見える印象です。
ポンチ酒の歌 WoO111/ベートーヴェン
最初から料理ではなくお酒で申し訳ない。ですが書き手がベートーヴェン推しなのでお許しを。
作曲家について
言わずと知れた楽聖。
1770年、ドイツのボン生まれ。幼いころより父親から虐待に近い極端な英才教育を受けたが、無事に才能を開花させて8歳でデビュー。のちに難聴などの大きな苦難や甥の親権問題などのいざこざを抱えつつも最晩年まで作曲を続ける。交響曲第五番『運命』、第九番(合唱付き)はあまりにも有名。
曲について
1791、1792年ごろに作曲されたと推定され、WoO109『喜びの手もてグラスをあげよ』と同時期に作曲されたとされます。作詞者は不明だが、ベートーヴェン自身によるものの可能性が高いそう。
ポンチ酒(パンチ酒)は蒸留酒に果汁や砂糖を混ぜたお酒で、若いころのベートーヴェンが愛飲していたとも伝えられています。地元の酒場で若き日のベートーヴェンが仲間たちと肩を組んだりしてこの曲を元気よく歌っている様を想像すると、なんだか微笑ましいです。ちなみに同じお酒をシューベルトも飲んでいたとかいないとか。
Song `Punschlied` WoO 111 – Ludwig van Beethoven
Wer nicht,wenn warm von Hand zu Hand
der Punsch im Kreise geht,
der Freude voll’re Lust empfand,
der schleiche schnell hinweg.
Wir trinken alle hocherfreut,
so lang uns Punsch die Kumme beut.
誰だろうと 暖かく手から手へ
ポンチが輪の中を回されるとき
喜びを目一杯感じられない奴は
とっとと出て行きやがれ
俺たちゃ飲むぜ 幸せいっぱいに
ポンチが器の中にある限りはな
クラヴサン曲集 第4巻 第22組曲 4.うなぎ/クープラン
鰻(うなぎ)といえば、かば焼きですよね。
作曲家について
フランソワ・クープラン
1668年フランス、パリ生まれ。
代々音楽家を輩出する一家の生まれで、父親から音楽教育を受けたとされる。彼が10歳の時に父親が他界した後は18歳になったら父親の跡を継いで教会オルガニストになる事を教会が許可し、それまでは国王のオルガニストでもあったジャック・トムランに指導を受ける。だがなんと25歳でルイ14世によってえらばれ師のあとを継いで国王のオルガニストとなった。
その後は宮廷作曲家としても活動し、多くの王族を教えるなどして活躍する。宮廷の様子がうかがえる表題のついた曲が多数残っている。
曲について
彼はクラヴサン曲集を4巻までまとめているが、この曲はその4巻に収録されている。にょろにょろびちびちうごく鰻を表現したのか、細かい動きとオクターブが繰り返されている。
どんな状況で彼が『鰻』と題した曲を作ったのかは不明ですが、おそらく彼と彼の周辺の人間で鰻を「おいしそう!」と感じてた人はいないはず。調理法が確立されるまではまずくて食べられたものではなかったそうですから。
[Cziffra György] Couperin: L’Anguille for Piano
童話音楽の献立表-3アーモンド入りチョコレートのワルツ/エリック・サティ
いかにも可愛らしいタイトル。
作曲家について
1866年、フランス共和国のオンフルール出身。
パリ音楽院にて学ぶも、在学中に才能が無いと指導教授に判断されて除籍処分に。そのせいもあってか?近代のクラシック音楽の伝統に疑問を持ち、作品への教会旋法の導入や、調性を逸脱した作風、小節線や拍子記号など楽譜上の常識とされていたものまで廃止するなど挑戦的な作曲をするようになりました。
孤児院の子供たちをピクニックに連れていき、ソルフェージュのレッスンをしたり面白いタイトルの即興テーマで笑わせるなど子供に対して愛情深い一面も。幼い子たちが「遊びを通して音楽に習熟する自由」を提唱し、当時はびこっていた教訓主義を避けていました。晩年、ミヨーに「今4歳の子供たちがどんな音楽を作るのか知りたい」と語ったそうです。
子供たちだけでなく後進への支援にも熱心で、それは後のフランス6人組※1からの支持やアルクーユ派※2の発足からもうかがえます。
※1 20世紀前半にフランスで活躍した作曲家の集団。メンバーはデュレ、オネゲル、ミヨー、プーランク、タイユフィール、オーリック。
※2 ソーゲとR.デゾルミエールらが作った、サティを先達と仰ぐグループ
曲について
この曲集はそんな子供好きな彼が書いた、純粋に子どものための曲。小さな手でも無理なく弾けて、全て白鍵、しかも詩のお話つきという。今回はお菓子名がタイトルになっている第3曲のみピックアップしますが、全曲素敵なので是非聞いて、良かったら楽譜も見てみてください。楽譜に載っている詩を下記します。
Tu vas en avoir un peu.
Tu aimes le chocolat ?
Laisse-le fondre dans la bouche.
Maman, il y a un os.
Non, mon petit : c’est une amande.
Le petit garçon veut manger toute la boite
Comme il est gourmand!
Sa maman lui refuse doucement:il ne faut pas qu’il se rende malade.
Horreur:Il trepigne de colère.
少しだけなら食べていいわ。
チョコレート好きでしょ?
口の中でとけるまで待つのよ。
ママ、硬い骨が入ってる。
いいえ、それはアーモンドよ。
ぼうやは一箱全部欲しがります。
なんて食いしん坊なんだ!
ママはやさしく叱ります:おなかを悪くするといけないからね。
おやおや、ぼうやがだだをこねている。
Erik Satie ~1913~ Menus Propos Enfantins
子供がアーモンドを骨と勘違いするところや、お母さんがお腹を悪くするといけないと心配して優しく叱る様子がいかにもリアルで微笑ましくて、サティの優しい眼差しがうかがえますね。
溶けたキャラメル/ダリウス・ミヨー
作曲家について
1892年南フランスのプロヴァンス地方に生まれる。
生まれつき小児麻痺を患っていたため、車椅子を使う機会が多かったそうです。
バッハの音楽から多調性や複調性を見出し、タンゴやジャズにも影響を受けます。若いころから独自の和声進行を持っており、パリ音楽院で学ぶも和声法の成績は壊滅的だったとか。
第二次世界大戦以後はアメリカでも活動し晩年には映画音楽も作曲するなど、1974年に亡くなるまで創作活動は衰えを見せなかったそうです。
曲について
1920年にロンドンでジャズに出会った彼がその要素を多大に盛り込んで作曲した、※シミー(shimmy)の形式で書かれた軽音楽。
※下着の「シュミーズ」を語源とする、体自体は動かさずに肩のみを前後に動かす振り付けのセクシーなダンス。1920年代に流行った。
ピアノ独奏曲ですが、1921年5月にはパリのブッフ劇場(Spectacle Théâtre Bouffe)にて、ジャン・コクトーの作詞した独唱付きのジャズバンド版がヴラディミール・ゴルシュマンの指揮により初演されています。
跳ねるようなリズムを多用しつつどこかしどけない雰囲気がある曲です。
Darius Milhaud – Caramel Mou, Op.68 ←ピアノ独奏
https://youtu.be/wYRM3cmvF20 ←バンド演奏
4つのデザートと4つの前菜/ロッシーニ
いよいよ今回の立役者が登場しましたよ!
作曲家について
1792年イタリア、ペーザロ生まれ。
18歳でデビューした後、フィレンツェ、ミラノ、ナポリ、ウィーン、パリと積極的に活動範囲を広げ「ナポレオンは死んだが別の男が現れた」と言われる程にその名声は高まります。
大変な美食家としても知られ、37歳で最後のオペラ『ウィリアム・テル』を発表したのちには作曲の表舞台から引退した後は毎週自邸で【音楽の夜会】と題するサロンを開き、演奏会と美食を大いに楽しんだそうです。
ロッシーニ美食家エピソード
残っている数々の自筆メニューや書簡から、とっても食いしん坊でお茶目な彼の姿がうかがえます。そして客人にふるまうのも大好きだったために彼の周りには自然と沢山の食材と友人たちが集ったようです。そりゃあ、あげた食材が極上の料理になっておもてなし付きでふるまわれるとなれば沢山プレゼントしたくなりますよね。本人の人柄あってこそでしょうが!
「指揮棒を包丁に持ち替えたらこんなになってしまいました」
引退後、ふくよかな自分のお腹を自ら指して決まってこう自虐したそう
「私は人生で3回涙しました。一回目は初のオペラを野次られて、二回目はトリュフ詰めの七面鳥を湖に落っことして、三回目は…」
ロッシーニがパガニーニへの手紙に書いたとされる逸話だが、これは当時パリのサロンで語られていた一種の笑い話らしい。それほど彼の食道楽っぷりが知られていたということ。三回目のオチは色んなパターンがあった様子。
全てがバラ色です。健康そのもので二つのゴルゴンゾーラが届きました。私はウルビーノのラファエッロが描いた名高い『シストの聖母』を初めて見て、聖母の足元にいるかわいい幼児たちに見惚れた時と同じ熱心さでそれを眺めています。
アントニオ・ブスカ侯爵宛ての手紙より
(彼にとって天使≒チーズ)
二樽のオリーブと、さらにトリュフまで発送しようという〔脅し〕を受け入れます
チェリスト兼友人の、ヴィターリ宛の手紙より
曲について
彼は晩年のパリ時代に『老いの過ち』と題した全14巻のアルバム内でおいしそうな曲を12曲も書いています。今回紹介するのはそのうち8曲。
〈4つのデザート〉
第1曲 干しイチジク
第2曲 アーモンド
第3曲 干しブドウ
第4曲 ハシバミの実
〈4つの前菜〉
第1曲 ラディッシュ
第2曲 アンチョビ
第3曲 小きゅうり
第4曲 バター
食材や料理を表している部分と、ロッシーニ自身の食材に対しての印象が表れている部分があるように思われます。
まとめ
今回は、ひょんなことから思い立ち、おいしそうなタイトルの曲を集めてみました。
モーツァルトやヘンデル他、作曲家の食についてのエピソードは多々あっても意外と具体的に曲が残っていないのが残念に感じられます。
いつかこの曲たちと曲名になった料理を同時に楽しむコンサートを開催したいものです。
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